TurboLinuxと当時熱かったBBSについて

昔、Linux に夢中になったことがある。
ネット利用にテレホーダイ(22:00から7:00まで定額でネットが好きなだけ使えた)を使ってた頃のこと。
ISDNは早い!」とSMAPの仲居くんがCMで盛んに出ていた頃(か、もう少し前かなあ)。


どうやって Linux を知るようになったのかは覚えてないけれども、とにかくいくつかの Linux のCD-ROMを手に入れていた。
その頃はCDROM一つ認識させるのも一苦労で、FTP(無償)版の TurboLinux が唯一認識させることのできた Linux だった。
バージョンが3の頃かな。まだ、パシフィック・ハイテックと社名を名乗っていた頃のこと。


インストールがすんでも、簡単には X が立ち上がらない。
1日が経ち、2日が経ち、3日…
Windows98とのデュアルブートだったので、Windowsからネットで情報を探してメモしては、リセットでLinuxに戻って試してみてるという、今では絶対にする気になれないような気の遠くなる情報収集をしていた。
1週間以上経って、ようやく X が起動してAfter Stepの画面が表示された。
嬉しかったなあ。


次はモデム。
当時、Winモデムと言うWindowsなくしては機能しないというSCSIボードがあった。
まあ、安いわけで。
買ったPCは6,7万円ぐらいの格安パソコンで、そういうパソコンのモデムはまずコレだった。


長い時間をかけて(いや、もうどれくらいだろ)、Winモデムが Linux では使えないことを知って愕然とし。
ネットのアクセスはWindowsから、普段の利用は Linux という面倒くさい使い方をしていた。
ようやく、Linuxで繋がることがお墨付きの据え置き型のモデムを購入して(多少手間取ったものの)ネットにアクセスできた。
ブラウザは何だったんだろう。ネットスケープ・ナビゲーターだったかなあ。
このブラウザは後にオープンソースとして公開され、やがて紆余曲折を得ながらFireFoxに生まれ変わっていく。
(厳密に言うとネットスケープそのものではないのだけれど)


さて、この TurboLinux だが。当時、掲示板が熱かった。
いや、何か知らないけど私が昼夜を忘れるほどにのめり込む何かがあった。
他のユーザーコミュニティーで開発されているLinux使いからは企業色が少し強かった Turbo は、ちょっと白眼視もされていたように思う。
とは言っても、今、考えるとおっそろしくユーザーよりの企業だったんだけどね。


とにかくこのBBS。
口うるさいFTP版(無償版)しか使わない(自分を含めたタダ乗り)ユーザーたちがTurboのこういうところが詰めが甘いだの、なめてんのかなどと掲示板で TurboLinux を使いながらしかも叩くわけ。
そして、彼らは初心者ユーザーにも適度に厳しい。
「過去ログ読んだか」「調べればすぐ分かるでしょう」などのきつい言葉の洗礼を受ける。

一方で、自分たちでBBSの過去ログの取得(ネットにアクセスできる時間が限られてる人が多い時代だから)や検索などリソースの再利用には惜しみない努力をしていた。
そして、それをシステム化して新参者たちが使用できるように構築できるノウハウの伝授も豆に行なっていた。
やがて、若葉マークの取れた新参者たちが、新しい新参者を導いていった。
当時、あのLinuxにそそぐエネルギーはすごかった。
私も、そして多分あそこにいたみんなが熱病のようだった。


やがて、Linuxブームが起きる。新聞にすらその名前が出てくるようになる。
そしてTurboLinuxも10(バージョン7の後が何故か10だった)になる。
(※H19/10/26 バージョン8が出てましたね。CD整理してたら出てきました)
その間に創業した社長も交代して社名も変えた。
企業間のタイアップが促進されて、どことなくユーザーと一線を画すようになる。
フォーラムも一新され、何というか雰囲気がどことなく変わってしまった。


そこではかつておなじみの人たちが姿を見せなくなる一方で、当時のLinuxブームに誘われるように、爆発的な勢いで新規ユーザー達がぞくぞくとやってきた。
そして、私も次第にフォーラムから足が遠のき、PCのLinuxはTurbo Linuxではなくなっていた。


でも、たいしてその後は熱は続かなかった。多分、とっくに Linux に対する熱意は冷めていた。
私にとっては Linux というものが面白かったのではなくて(楽しくはあったが)、口やかましく情報交換をしながら、詰めの甘いTurbo Linux に悪態をつきながらメンテナンスするのが楽しかったのだと思う。
他のユーザーの事までは分からないが。


私がいくらか歳を取ったように、顔も知らない当時のフォーラム仲間たちも歳をとってめいめいが自分の人生を送っているのだと想像する。
Turbo Linuxのフォーラムにはリニューアルされる前のBBS時代のアーカイブをまだ保存してくれており、読むこともできる。
そこには私のハンドルもあり、なつかしいハンドルもたくさん目にする。


とりとめのない回顧になってしまったけど、良い時期に Linux というものに触ることができてラッキーだったと思う。


本当は、この話は本題の前振りだったのだけど。
えらく長くなってしまったので今日はこれまでと、する。